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2009年06月12日

沖縄県の産業、経済、政治及び文化①

* 沖縄県地域限定通訳案内士試験 過去問題 (2008年)
「沖縄県の産業、経済、政治及び文化」

[沖縄県のあゆみ〕

1) 1956(昭和31)年の夏に起こった「島ぐるみ闘争」と
最も関係のない語句を選びなさい。

① 土地収用令
② 銃剣とブルドーザー
③ プライス調査団
④ 要塞の島
⑤ 復帰特別措置

2) 米国民政府は1968(昭和43)年2月に行政主席の
公選をついに認めた。その時の主席選挙で
「即時・無条件・全面返還」を訴えて、初の公選行政主席
となった人物を選びなさい。

① 比嘉秀平
② 屋良朝苗
③ 平良辰雄
④ 大嶺政寛
⑤ 大城立裕


*順不同、すべての問題は含みません。
問題内容も若干変更しています。
(こちらの都合ですみません。)
解答についても、責任は持てません。

解答は、次ページ。
解答

1) ⑤復帰特別措置

島ぐるみ闘争とは
 米軍の強健的な土地収用に対し、多くの住民は土地の提供を拒んだ。そのため、米国民政府は1953(昭和28)年に
「土地収用令」を公布し、無理やり土地を奪うという非常な手段をとった。米軍が、立ち退きを拒否する住民の前で
家ごとブルドーザーで敷きならすという暴力的な土地接収を行った村もあった。「銃剣とブルドーザー」によって
沖縄は、「要塞の島」と化し、基地のなかに沖縄があるとまでいわれるようになった。
 米国民政府は、1954(昭和29年)、さらに軍用地の使用料を一括支払いにするという新たな方針を打ち出した。
土地の使用料を一度にまとめて支払い、あとは無期限に使用しよと考えた。沖縄からの要請で米国から派遣された
プライス調査団の米国議会への報告書も、これを認めるものであった。沖縄住民の生活権を無視した米国政府に対し
ついに民衆は一丸をなって立ち上がった。これが、1956(昭和31)年の夏に起こった”島ぐるみ闘争”であった。

2) 屋良朝苗

* 参考書 「うちなー教本」



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